津軽篇・室町時代/第5話

十三湊遺跡 十三湊遺跡は、青森県五所川原市・市浦地区(旧北津軽郡市浦村)十三湖の西岸に位置する国指定史跡です。これまでは文献資料も乏しく、十三湊を支配していたとされる安藤氏とともに謎に包まれていました。しかし、平成3〜5年にかけて行われた発掘調査によって大規模な中世の国際港湾都市であったことが明らかになりました。
 市浦歴史民俗資料館(十三湖・中の島)では、この発掘成果を出土品を交えて紹介しています。館内には旧十三小学校周辺の発掘調査から出土した遺物や日元貿易の様子を明らかにした外洋船の模型も展示しており、当時の繁栄の様子をうかがい知ることができます。また、十三湊を支配した安藤盛季(もりすえ)とされる武者木彫像や十三湖周辺に残る中世の石造物なども紹介しています。中には、この地を統治していた安藤氏に関する宗教遺跡といわれる、山王坊遺跡から出土した五輪塔・宝きょう印塔などが展示してあります。
 山王坊遺跡は、日吉(ひえ)神社の境内にある中世の山王坊跡と伝えられる遺跡です。発掘の結果、十三湊と同年代の遺物も発見されており、安藤氏の居城とされる福島城に近接しているため、安藤氏が建てた神仏習合の宗教施設であると考えられています。
 十三湊遺跡や山王坊遺跡は、十三湊が大規模な都市計画をもった湊町であったことから、中世港湾都市の景観を今に残す貴重な遺跡だといえるでしょう。 (サト)

〈参考文献〉弘前市史資料編
       新青森市史資料編2










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コラム 安藤氏と南部氏の覇権争い~十三湖~

 約1400年頃、今の青森県地域において安藤氏と南部氏は激しく覇権を争っていたといわれています。直接の軍事対決はもちろん、中央政権への献上物でも激しく争っていたという記述が残されています。今でいうと中央政府に便宜を図ってもらうための賄賂攻勢というところでしょうか。豪華な贈り物を献上するにはもちろん莫大な財力が必要となります。
 覇権争いの当事者の一方である安藤氏が本拠地としていた十三湖へ取材に行ってきました。中世には全国でも有数の繁栄を誇ったといわれる十三湖ですが、今はしじみ漁が盛んな静かな漁村です。
 そんな静かな十三湖に中の島という島があり木造の橋でわたることが出来ます。そこにあるのが市浦村歴史民族博物館です。ここには平成三年から五年にかけて行われた十三湊遺跡発掘の成果を中心に、十三湊遺跡に関する様々な展示が行われていて、とても興味深く見ることができます。
 その中でも一番私の興味を引いたのは当時の交易ルートを示した図解です。その交易ルートは海流を利用したもので、日本海側を南は九州以南までのびていて、北は北海道を超え遥かロシア領。さらに朝鮮半島、中国大陸へとのびていました。その海運ルートの重要拠点として十三湊はありました。
 当時の様子を想像してみると、きっと十三湊の人たちは今の私たちよりも遥か外交的て開かれた人たちであったことは容易に考えられます。日常的、定期的に外国の人間や文化、それまで知られていなかった珍しい贅沢な物資などがが流入する。そしてその交易から莫大な利益が生まれ爆発的に繁栄していきました。
 このような事象は中世・十三湊に限ったことではなく、現在でも世界のどこかの都市では進行形であるのでしょう。「歴史の一片として、繁栄と衰退が繰り返されているのでしょう。 (金さん)

出典:弘前市史 資料編

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