南部篇・安土桃山時代/第16話

三戸城 —三戸五ヶ城— 永禄年間、南部氏が留ヶ崎城を居城とするまでの約370年間、現在の南部町が南部氏の本拠地であり、中心であったといいます。
 南部氏は南部町、三戸町、田子町を中心に糠部郡を支配したといわれます。南部町にあった聖寿寺館、平良ヶ崎城、馬場館、大向館と、現在三戸城と呼ばれている、三戸町の留ヶ崎城を指して「三戸五ヶ城」といいます。この5つの城が互いに連絡を取り合い、居館であった聖寿寺館や政庁として使われていた平良ケ崎城を守っていたと思われます。
 聖寿寺館は14世紀末頃から南部氏の本拠地とされていました。しかし天文8年(1539)に家臣の放火により、建物と一緒に殆どの創建期の記録も焼失し、創建時の様子は記録や伝承によってしか知ることができません。しかし町内には現在でも南部氏に関連する城館や藩主の墓、霊廟などの文化財が良好な状態で遺されています。
 南部氏の菩提寺の一つ三光寺は、聖寿寺館の北側にあります。境内には南部26代・信直夫妻の墓所(町史跡)、南部27代・利直の霊屋(県重宝)、利直の四男・利康の霊屋(国重文)、南部2代・実光の墓所などがあります。当時は南部氏の菩提寺である聖寿寺、東禅寺、三光庵がありましたが、南部氏が盛岡に移った時点で三光寺が菩提寺として残りました。
 南部氏は東北地方を代表する中世武士団です。その武士団の本拠地であった南部町には遺構も良好に残されており、東北地方の歴史を考える上で貴重な存在であるといえます。
(サト)

〈参考文献〉三戸城
      南部利康霊屋 —南部氏と三戸—
      物語 南部の歴史








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